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ゴメンナサイ、仏教関係なく面白いです!東本願寺の「えっ!仏教語だったの?」が面白い

東本願寺キャラクター

えっ!仏教語だったの? | 東本願寺

京都市下京区にある東本願寺のWebサイトにある「えっ!仏教語だったの?」が面白い。

もともとは、東本願寺出版部が発行している『同朋』という雑誌の1コーナーだったものが、Webに展開されているようです。

大学の教授や住職の人が、それぞれの単語について解説しているのですが、書き出しからグイグイ読ませる物が多く、読み物として秀逸です。

本来の趣旨とは違うかもしれませんが……仏教とかを抜きしても面白いのでオススメです。


何点か紹介させて頂きます。

愛(あい)

キリストは「汝(なんじ)の隣人を愛せ」と言い、孔子の説いた「仁」もまた愛であり、テレビは「愛は地球を救う」と叫ぶ。

お寺のサイトで「キリスト」という単語が出てきてビックリしました。懐の深さを感じます。

また愛という言葉自体は本来すばらしい言葉ではあるのだが、われわれ凡夫(ぼんぶ)の愛の裏側には、常に区別の思いが隠れている。わが子を愛する心の裏には、わが子とよその子を区別する心があるように、何かを愛するという心の裏には、別の何かは愛さないという心が潜んでいる。

はい……


快楽(けらく)

どう見てもこれは、「快楽(かいらく)」としか読めない。ついついエッチなことを想像してしまいます。

(ノ∀`*)

私たちは「一寸先は闇だ」といいます。つまり、「一寸先は死」だと。しかし、一寸先にこの世を超越できる出口があるということは幸せでしょう。一寸先に安楽への出口があるからこそ、この世を生きてみようかという意欲も湧いてきます。もしこの娑婆(しゃば)の生活に終わりがなく、永遠に続くことを考えるならばゾッとしますね。

(´;ω;`)


三昧(さんまい)

世間では「釣り三昧(ざんまい)」「読書三昧」「ゴルフ三昧」等々、何かに夢中になっている状態を「〇〇三昧」といいます。三昧とは、もともと仏教語で「何ものかに心を集中することによって、心が安定した状態に入ること」という意味だそうです。

三昧になりたい。

「物忘れ」は老化現象ではなく「三昧」のなせるワザではないかと最近気づいたのです。
(中略)
冷蔵庫にビールを取りにいこうと思って、歩いている間に、頭は勝手につぎの思いに展開しているのです。ですから、実際に身が冷蔵庫に到着したときには、思いはそこにないわけです。それは「老化現象」でなく思いが深く「三昧」の状態にあるからこそ、身と時間差が生まれてしまうと解釈したらどうでしょうか。

ポ、ポジティブですね。


超(ちょう)

「チョーおいしいでー」。私の隣で、小学校4年生のゆりかちゃんがコンビニのグラタンを食べています。
(中略)
「超」は「完全なさとり」を意味する仏教語です。相対有限という比較の世界を超え出て、絶対無限の世界を感得することをいいます。ゆりかちゃんも比較を超えたおいしさを、そのグラタンに感じたのでしょうか。

ごめんなさい。多分そこまで考えてないと思います!

絶対無限の世界といっても、独りよがりの世界ではありません。それは、隣のおじさんにとっても美味しいはず。「チョー」には、誰にでも通じるという意味があることが、ゆりかちゃんからも知らされます。

ゆりかちゃんスゲーっす。



是非、続きは東本願寺のサイトでご確認ください。

あ、ちなみにページTOPにある画像は東本願寺のキャラクターの「鸞恩くん」「蓮ちゃん」「あかほんくん」です :)